SyntaxHighlighter

2012年4月23日月曜日

参加性と権威性

「食べログ」と「ミシュラン」の違いからメディアにおける参加性と権威性を考える
上記事のメソッドはゲームにも適用できそう。
普通のCGMの話なんだけど、ミシュランと対比させての分析が分かりやすかった。

食べログ型
・プレイヤーの内容変更に関する参加が容易
・多様な好みやビルドがあることを前提としたゲーム設計
・糞ビルドも存在しうるし、それはプレイヤー側の責任になる
・製作側が制御しにくい

ミシュラン型
・プレイヤーの自由度が低い、映画的
・製作者が提供する形こそが文句なしに面白いという前提に立つ
・内容に関する責任は全て製作者が負うが、品質も保証する
・製作者が内容に関する絶対的な決定権を持つ

ゲームの自由度って曖昧で微妙な表現だけど、ここではストーリーの選択や分岐の話ではなくて、(ハクスラなので)戦闘における戦術・作戦の幅の話。

自由度が高いけどゲームバランスがいいって矛盾している。多様な入力を許すけど出力の結果にばらつきが無いってバランスは、結局自由度が低いってことになる。それは食べログに見せかけたミシュランであり、何かがステルスされている。言い換えると、自由度が高い気分にさせてくれるだけで、実際のところ製作者の手のひらの上ということだ。カラオケの採点システムの接待モードの原理だ。それはそれですごい技術だけど。

ユーザーはどちらを期待しているのか。

自分はミシュランには成れない。

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