SyntaxHighlighter

2012年4月15日日曜日

エントロピーとゲーム

読み返したけど、全然安定してない。

和ゲーと米ゲーで最近話題になるタイトルだと、単純に資源量の差を感じる。
開発資源の量は強みだ。お金、市場規模、万歳。

量が多いというのは複雑さを生みやすい。
でも情報量を増やすだけなら別に大量の開発資源はいらない。
アイテムを増やすことよりも、アイテムを組み合わせることを考えれば良い。
エントロピーが増える。

でも、例えば、10個のアイテムを組み合わせて追加で45個のアイテムが出来たとして、それで実際に使えるのは8個ぐらいだったら残りの50個余りは無駄だよね。
だったら初めから8個のアイテムでよかったんじゃないか?

情報量の多さと、人間にとって意味のある情報の量はあんまり関係が無い。

ただ、55個から8個を選ぶ過程は楽しい。
違いを楽しむ人には最高だ。

現代人の楽しみは差異を消費することしかない。
差異は情報、エントロピー。
よく訓練された人間は小さな違いでも喜んで愛でる。
これは低エントロピーでも退屈しないための知恵だ。
逆に言うと小さな差異しか生み出せないコンテンツはどんどんオタク向けになる。

人間にとって意味のある差異と、ただの情報としての差異はちがう。

例えば、今作っているゲームで移動スキルを3種実装した。
敵に向かって移動するのと、壁に向かって移動するのと、一定距離移動するものだ。
移動スキルは他の攻撃スキルと組み合わせやすい。
例えば殴るスキルと組み合わせるとこんなものができる。

・敵に突進して殴る
・殴ってから別の敵に接近する
・殴ってから壁に素早く退避する
少し工夫すれば
・一定距離移動して移動範囲内の敵を全部殴る
・スーパーボール並に壁や敵の間を跳ねるように移動して殴る

…とか。
最初は全ての移動スキルと全ての攻撃スキルを自由な順番でプレイヤーが組み合わせることが出来たら楽しいかと思った。移動後に攻撃してもいいし、攻撃後に移動してもいいし、それらを組み合わせても良い。それでスキルの種類が事実上大幅に増加する、なんという神ゲー、私の才能が恐ろしい、とか思った。でも、実際のところスキルの大半の組み合わせが無意味だ。エントロピーの増加は質の低下だ。

例えばDiablo 3のキャラクターは初めから攻撃に色々な要素が組み合わさったものがスキルだ。Demon hunterなんて自動で引き撃ちしてくれる。Diabloは何故移動と射撃を分けて実装しなかったのだろうか。彼らは全てカスタマイズできることが必ずしも楽しみに繋がるとは限らないことを知っているからだ。

テトリスが愛されるのは4マスのテトリミノの組み合わせが絶妙だからだ。あれが1マスや2マスずつのブロックで構成されていたら興ざめだ。5マスだと難易度が少し高すぎる。
いくら良い素材があるからといって、それを使った料理が美味しいとは限らない。大事なのは調和だ。

では、開発資源も良い組み合わせを創る感性も乏しい人がどうやってゲームを作ればいいのか。

自分で組み合わせを作らないことだ。
結局最初の方針で進めるしかない。
自由な組み合わせを出来る場を提供して、あとはプレイヤーに任せる。
アンチャーデッドを高級料理店、林檎アプリをお惣菜屋さんに例えるなら、自分はスーパーの食品売り場と駐車場に置かれた七輪みたいな。
人間は情報量を減らし、質を高めるのが仕事。

食材の種類と調理器具を増やすことだけを考えて、あとは知らないで通す。
食材はビルドの要素であり、調理器具は敵の種類だ。

でも、それすらユーザーがModで作ってるゲーム文化圏もあるような…。
じゃあ新しくゲーム作る意味ってあるのか?
エンジンだけ作ってあとは放置?

まぁSource EngineとかUDKとかUnityとかで自給自足してる集団とか大量にいそうだ。
料理や食材は買うものって概念がおかしい、自分で遊ぶものは自分で作るのが一番、みたいな。
最強すぎる。何も反論できない。反消費社会マンセー。

そうなると、ゲーム作る理由は2つしかない。
1つは自分で遊ぶため。
もう1つは他人のため。お金や名誉のため。自然発生的分業。ゲーム作るの得意だから作るね、っていう。
まぁ、自分なんか今、疎外ってるから、よく分かんないけどゲーム作ったら解決するかもって感じで作る人もいるかもしれない。永遠のワナビー。作ることが目的化。It's me.

閑話休題。

同じゲームを何時間もやるなんてジャンクフードで腹を満たすようなものだ。
vs
調味料の進化で我々は腐った素材でも吐き出さずに済むようになった

だからさ、ゲームに何求めてるの?
新しい体験?だったらゲーム以外の事した方がいいよ。
繰り返し同じ作業続けておいて、つまんねーとか言ってるの頭湧いてるんじゃないの?

ゲームは気慰み。
人生はどうせ満たされない。
満たされたと思ってもまた足りなくなる。
苦しみの果てにしか幸せはない。
射精の衝動は苦しみからの解放だ。
苦しめば苦しむほど、開放されたときの快楽が大きい。
感情の落差を求める。興奮と安静を求める。
動物は能力を最大限に発揮しないとストレスがたまる。

どんな新鮮な体験も繰り返すうちに簡単にできるようになってしまう。
飽きる。
人は絶えずやる事を探さなければならないのだろうか?
どこで?

ゲームは無限に課題を生成できる。
解くべき問題を与えてくれる。退屈を殺してくれる。
本当はブロックを積み上げて崩すだけの繰り返しでも、それと気付かないように演出してくれる。
誰かが負けなくてもエンドルフィンが生成される。
気の利いた良い奴だ。
ゲームは間違いなく人間の生活を向上させる。

ブロックを積み上げて崩すだけの繰り返しがちょっと複雑になったのが生物のエネルギーの変換。
最初からなにもかも意味なんて無い。
永遠の幸せは死ぬか、ドラッグ決めて死ぬことでしか得られない。

もっとゆるやかに退屈せず死ねる方法を考えたほうがいい。
最早地球には人間に必要なエントロピーが足りないのだ。
使う量を減らすか、使えるものを増やすしかない。もしくは人が減る。
効率的な食料生産は有用なエントロピーを増やす。
効率的な社会システムは使うエントロピーを減らす。
効率的なエンターテイメントは感情を増やすのか、減らすのか。

減らすぐらいならやらないほうが良い。
増やすためには贅沢でなければならない。
贅沢とは情報量が多いことであり、情報量とは質やユニークさだ。

全員が贅沢であるためにはまだ世の中にゲームは足りない。

もう書いてて自分でもよく分からなくなったので、この辺で書くのやめる。

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